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『感謝のキモチ―猫と帝―』

 

飛香舎にて、瑠璃に呼び出された秋篠は苛々とした様子の瑠璃に内心溜息を吐いた。
いつものように何か面倒な事を言われるんじゃないだろうかと、過去の傾向から思う。瑠璃姫からの相談と言えば、ハッキリ言って今まで今上帝絡みで無いものなど一度として無かった。
この女御様は大抵の事には一人で立ち向かわれ、解決してしまうのだが、たった一つ、今上帝についてだけは愚痴を零してくるのだ。
「で、ものは相談なんだけど」
徐に話し始めた瑠璃姫に秋篠は首を傾げて見せた。
「なんでしょう?」
常日頃、今上帝よりの寵愛が深すぎる瑠璃姫が文句を言いたい気持ちも分からないではないのだが、秋篠の立場としては、如何ともし難い事が多い。
自分が真実忠誠を誓い、仕えているのは今上帝たる方、たった一人。
なんとかしてくれと相談されても、優先順位は覆せない。
そんな事を思っていたら予想外の事を言われた。
「最近ね。気づいたの。折角の猫。可愛いんだけれど、何処か里子に出せないかしら?」
気づいたの、から里子への繋がりがよく分からない。
「猫…とは先日女御様がお忍びの際に拾ってこられたあの二匹の猫ですか?」
「そうよ…悪かったわね、お忍びした挙げ句、猫なんて、しかも二匹も連れて帰ってきて」
チクリとした嫌味は十分瑠璃姫には通じたらしい。流石は勘の鋭い方だ。
「で、何故その猫を?」
なんだかんだ言いながら、瑠璃も今上帝も可愛がっていたはずなのに、と秋篠が首を傾げれば、瑠璃姫が本当に切なそうな表情を浮かべてみせた。
思わずドキリとする程、何処か影のある、いや、艶のある女人らしい色っぽい風情だ。
瑠璃姫自身はこう言った所に鈍感で無頓着で、知らず知らずの内に今上帝を刺激し、挑発していた。故に、ある程度は瑠璃姫の“深い寵愛故の相談”は自業自得の面が強いと秋篠は密かに思っていた。
が、それは良く飛び火するのだ。咄嗟に秋篠は素早く辺りを窺い、今上帝が近くに隠れていないか確認してしまった。下手にこんな場面を見つかると、本当に厄介なのだ。
この瑠璃姫を見てしまうと、予想外と思ったが、やっぱり何時もの様に、今上帝絡みと思わざるを得なかった。
「あの二匹ね。元が野良猫だからかしら。人に馴れても、人との距離感がやっぱり遠いのよ。ルリは抱っこしようが何しようが余り文句も言わないし、甘えてくる位だけれど、あの二匹は駄目。触れば不機嫌そうにそっぽ向いて、抱こうとすれば、逃げていくわ」
「はぁ…」
そもそも猫というのはそう言うものだろうと秋篠は思った。
「そのくせ、あの二匹。鷹男が自分に甘い事を知っていて、態と。態とよ?鷹男の傍で寛ぐのよ!」
「別に宜しいのでは?」
「いい訳無いじゃないっっ!」
バシッと音がし、何かが飛んだか?と思えば、先程まで瑠璃姫が手にしていた扇があらぬ所に転がっていた。
「………」
「自分が嫌がる事を鷹男がしないと思って、甘えて!だから他の人よりも鷹男の傍に行く癖に、やっぱり触られる事を嫌がるのよ!最近やっと原因に気が付いて!だから…だからっっ!」
「瑠、瑠璃様っ」
はっしと、瑠璃姫が持ち上げた脇息を引き留めたのはずっと傍で黙って控えていた古参女房の小萩殿だった。
「小萩、止めないで!投げさせてっっ!」
「駄目です!お願いですから、お止め下さいっ!」
二人してきつく睨み合う。
成る程。最初の“気づいた”のは猫が今上帝に“甘える”(秋篠には舐められているとしか思えないが)事かと納得した。
そして、里子へ行き着くのは、その“甘える”が“原因”だからだ。では“結果”とは?
「双方落ち着いて下さい。女御様、取り敢えずお話をお伺いしますから、脇息はおいて下さい。他の者が騒ぎを聞きつけてやって来ますよ」
冷静な声音で告げれば、ハッとしたように瑠璃姫は頬を赤らめて、大人しく元の位置に戻った。
脇息も、無事小萩が確保すると、通常の位置に戻された。
「こほん。ごめんなさい、秋篠様。もう本当に。追いつめられて、私……苛々していたもんだから、つい……」
「一体女御様のお心を煩わせるのは何でございましょう?私でお役にたてる事なら、幾らでもお役に立ちましょう」
「ありがとう」
秋篠の言葉に、心底安心したとでも言わんばかりの笑みを浮かべた瑠璃姫に、今上帝絡みならば、と何となく“結果”が見えた気がして、気が重くなった。
「その…ね。私なんかだと我慢しないで猫を構うから、余り近寄ってきてくれないの。それはそれでなんか気に入らないんだけれど、それはさておき、傍にいなければ構いようがないから諦めもつくけど、逆に傍にいる癖に構えないのって辛くない?」
「まぁ…猫が好きな者なら、構い倒したい所なのでしょうが…」
やはりそう言う事なんだろうか、と秋篠は思う。
「ルリの事をあれだけ可愛がっているのを見ると、鷹男は猫好きだと思うの。ルリの場合はいいの。ある意味両思いだから問題ないし。まぁ、あの二人?のラブラブっぷりも、ちょ〜っと気に入らないでもないんだけれどね。でもね、あの二匹は違うのよ。構いたいのに構えない。可愛がりたいのに可愛がれない。そんな…え〜…なんて言うか……鬱憤?そんなものがね?鷹男がため込んでいるみたいでさ。ほら…ねぇ?」
新しい扇を一体何処から出したものか、それで恥ずかしそうに赤らめた頬を隠しつつ、瑠璃姫がもごもごと言い募る。
鬱憤がどうしたと?いいじゃないですか。仲良き事は喜ばしき事!
そう言えたならば…と思いつつ、秋篠はようやっと、『猫(原因)→ブラックボックス→里子(結果)』となったのかを理解した。
単に今上帝は猫を構えない鬱憤を瑠璃姫を構い倒す事で解消しているだけの事だった。
相も変わらず、仲のいい事だ、とそう思う。
だが、瑠璃姫にとっては先程の様子を見てもかなり追いつめられているらしい。脇息を投げ飛ばしたくなる程度には“鬱憤”が貯まっているのだから、このまま放置すれば、実力行使とばかりに「実家に帰らして頂きます」とか「尼になります」とか、それはそれは面倒な事が我が身に降りかかってくるだろう。
秋篠はこほん、と咳払いを一つした。
「そうですね。承知いたしました。猫の面倒を見てくれるような方を探してみましょう。勿論、女御様の方からは、その旨、お主上へお話しておいて下さい」
「え?私からしないと駄目?」
「当然でございます。あの猫は女御様が連れてきた女御様の猫です。その上、ご寵愛深い藤壺の女御様より猫を賜る事になりますから、里親は十分吟味した上で、お主上のご了解がなければなりません。政の一種ともなりますから」
宜しいですか?と念を押せば、ただの猫に政が絡んでくるなんて何て面倒なの、とでも思っているのだろう。ありありと窺い知れる表情の瑠璃姫に秋篠は小さく唇に笑みを浮かべた。
この姫は、これだけの説明で、「女御の猫の里子」がどう言う意味を持つのかを理解するからこそ、大したものなのだ。
「では、私はこれで御前失礼致します」
藤壺に長居は無用。ここはある意味危険地帯。変にお主上に見つかる前に逃げるに限るのだ。
「うん。何時も有り難うね」
迷惑を掛けている自覚はあるらしく、申し訳なさそうな瑠璃姫に秋篠はクスリと笑みを浮かべた。
「そんな風に神妙な女御様は女御様らしくないですね。そうそう。つい先程もこちらにお伺いする前に清涼殿にて、件の猫二匹に囲まれたお主上をお見申し上げました。それはそれは、何とも切なそうなお顔でじーーーーーーっと猫二匹を見つめておいででした」
「えぇええ!!!」
驚き、思わず腰を浮かせた瑠璃姫がキョロキョロと辺りを見回している。
「小萩!わ、私はちょっと体調が悪いから伏せっていると…」
「女御様、それではお主上がご心配されます。逆に大騒ぎになってしまいますわ」
「じゃ、じゃぁ、えーと、えーと…」
小萩の判断は正鵠を射ていた。そして、どうしたものかと慌てふためいている瑠璃姫の様子に如何に困っているかが分かってしまう。このままだとちょ〜っと気分転換にとか言って、後宮を抜け出されそうだ。
となると、“鬱憤”状態な今上帝がここに残されてしまう。
同じく“鬱憤”状態な瑠璃姫には申し訳ないのだが。
「女御様、抜け出されたりしないで下さいね。その替わり、猫の里子の件、何とかいたしますから、お約束ですよ?」
にこやかに笑んで立ち上がれば、愕然とした風情の瑠璃姫と目が合う。
まさか、と思った時には背後に人の気配。
「女御。ご機嫌は如何…秋篠?」
そう言いながら秋篠の背後に立ったのは、今きっと瑠璃姫が一番会いたくなかった人物であろう、今上帝だった。
「お主上。女御様には何かお主上にお話があるとか。お伝えしに参ろうと思っていた所でしたので、宜しゅうございました」
猫に木天蓼(またたび)、帝に瑠璃姫。
人のいい笑みを浮かべた秋篠をまるで裏切り者でも見るかのように瑠璃姫が睨み付けて来た。
そんな瑠璃姫の様子を敏く感じ取ったであろう今上帝はニコリと笑むと頷いた。
「そう。では私がじっくりと話を聞き、女御のお相手をしようか」
「それが宜しいかと存じます」
「ちょっ…ちょっと…何言って…!」
「では、私はこれで…」
頭を下げると、今上帝と入れ替わりでその局を退出する。
「ちょっ!まっ……」
「女御?如何致しました?その様に他の男の背を追われるなんて、胸が焼き付く思いがしますよ」
優しげな今上帝の声はまさに猫なで声。
「…っ」
そんな背後の様子を背中で遮断し、遠く離れてから、ふと足を止めた。
ふぅ、と息を吐き、空を見上げる。タカが気持ちよさそうに空を飛んでいる。
「いやはや、本当に仲のいい事で」
申し訳ありませんね、瑠璃姫。
いざとなれば私が引き取ってもいいのだし、責任を持って猫の里親は探しておきますから。
「今暫く、猫の分まで宜しくお願い致します」

瑠璃姫が入内されてから大変な事は沢山あるけれど、日々が楽しくもあり、輝いている。
そして、何よりも今上帝が生き生きとされている。
苦労が報われると言うもので、感謝しても、したり無い程である。
きっと、瑠璃姫にはそんな私の感謝の気持ちなんて一つも、これっぽっちも、一切、感じ取れないと怒鳴られそうではあるけれど。
「ふふ…」
二人目の御子もそう遠くないだろう、と思う秋篠だった。

そうして、この後、瑠璃姫は密かに猫女御と呼ばれる事になったのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「お前達ときたら、本当につれない…」
そんな、女人なら誰もが心を奪われるような鷹男の切なげな風情にも、大して気にした風もなく、猫たちはデロ〜ンと体を弛緩させて、寝転がっている。
夏の暑さに、猫たちもぐったりしているのだから仕方がない。

ないのだが。

こんな風に、撫でてくれと言わんばかりに無防備に傍で寛がれると手を出したくなる。
柔らかくしなやかな肢体を晒して、触ってみろと言わんがばかり。
そのくせ、実際に手を出すと、彼らはいや〜んと何処かに姿を消してしまうのだ。
酷いと思う。
「姫そっくりですが、姫以上に厄介ですね」
鷹男は悩ましげな溜息を吐いた。

自分の前でこそ、見せてくれる可愛らしい笑顔の瑠璃。
鷹男の腕の中、他の誰も知らないであろう瑠璃。

その愛しい人に、目の前でこんな風に誘惑されたら、見ているだけ、なんてあり得ない。
だが、まだ瑠璃は言葉も通じるし、いざとなれば、なんとでも自分の思うようにする事も出来る(自信と言うか実績がある!)。

が。

このケダモノな彼らは手に負えない。

目の前にある愛らしいもの。

もふもふと柔らかく、絹の如き柔らかな手触りの毛並み。
撫でて、抱っこして、頬ずりして。
キュッと抱きしめてみたい。

―――目の前にあるのに。

彼らはそれを帝である鷹男にすら許してはくれないのだ。
ただ、指を加えて見ているだけだなんて!!

白茶猫が、くあぁ〜っと大きく口を開けてあくびをしてみせる。
ゴロンと反対方向に転がり、白い腹が晒される。

馬鹿にされたような、挑発されたような気分になる。
「くっ…か、可愛いのにっっ!」

「……」

「……………」

「……。〜〜〜〜〜〜っっ!藤壺へ参る」

鷹男はサッと立ち上がると、猫を残して、先触れを出す事もせずに清涼殿を後にした。
こうして、今日も鷹男の煩悩は妙な所で蓄積・増幅されて、愛しいただ一人の背の君である瑠璃へと向けられるのだった。

 

 

〜あとがき〜
茉莉花様、何時も本当に素敵な、可愛い絵を有り難うございます!
ウチの駄猫(笑)はさておき、あの中央で私にはお預け食らった様にしか見えない鷹男が可愛くて、可愛くて、可愛くて!もう、悶絶ものですよっ!
で、そんなSSを書いたらかなりの短文。じゃぁ、その後きっと苦労するであろう瑠璃の事をおまけで書いちゃおうvと思ったら、そっちが長〜くなってしまい、何やら逆転。 その上、折角猫絡みだし、とキモチシリーズの二人にしてみたり。だから、大分変更の上に変更となりました。
しかし、このシリーズのアッキー…潔い程、瑠璃を鷹男に献上しましたよね。徹頭徹尾?(笑)
鷹男の実績については突っ込まないで下さいねっ(笑逃)

 

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