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『つもる、キモチ』

 

 外を見れば静かに雪が降っている。
  雪雲に覆われて、太陽を見る事は出来ないが、まだ昼日中だと言うのにとても静かだ。
「雪は音を吸い込むって本当だよねぇ」
  瑠璃は呟いた。
  ひーふーみー…。
  今が如月だから、と指折り数えれば、早いもので、瑠璃が夏の終わりに入内してから半年が経とうとしていた。
  この後宮で初めて過ごす冬。ここから見る雪景色は昨年見た吉野の雪景色に比べれば薄化粧と言った感じだ。
  それでも、昨日から降り続いている雪は大分積もってきている。きっと明日は宮中でも雪掻きで大変になるのだろう。

「冷たいけど、気持ちいいー」
  そうっと瑠璃は局の端近くで、ヒンヤリと冷たい床に体をうつ伏せた後、ゴロリと転がると仰向けになって、庇の端から緩やかに雪を降らせる曇天を見つめた。
  本当なら、幼子の頃のように雪の腹で大の字になり、何にも遮られる事のない天を仰ぎたかったが、今はこれが精一杯だと分かっていた。

 白い欠片が降る。

 ちらちら。

 ちらちら。

 

 ちらちら、と。

 

 舞い降りてくる雪が真っ白で美しく、瑠璃はただジッと見つめた。
  昨年は自分がこの後宮から雪を見る事になるとは思ってもいなかった。まだまだ鷹男が好きなんだと自覚したばかりだった。
  春の終わりには気持ちに整理を付けて、この京へと戻ってきた。そうして迷い猫を保護し、それが切っ掛けで鷹男と想いを通じ合わせる事が出来た。
  今、その猫は火鉢の真横辺りで丸くなって眠っている。
  瑠璃も同じ様に火鉢の近くにいるのだが、ほぼ火鉢を間に挟んだ反対側だ。鷹男が拾ってから一年になる猫はすっかりもう大人で、最近では瑠璃が紐を振っても遊んでくれなくなった。
  昔程べったりではなく、適当な距離が出来ていた。
  その理由は特に鷹男のせいだと瑠璃は思う。瑠璃の傍に猫がいようとしても、鷹男が来た時、なんだかんだと追いやられてしまうからだ。
  一緒に眠ろうとしても、それは鷹男が認めない。偶にならそれもあったが、常にと言う意味では、愛する女御の瑠璃との同衾を愛猫とは言え、鷹男は邪魔させなかった。
  そうして親離れした子供の様に、最近ではべったりではなくなっていたのだ。
  鷹は元々べったりではなかった事もあり、余りその様子に変化は見られない。元来鷹を室内で飼う訳ではないので、当然と言えば当然と言えた。

 ほんの少しの寂しさと。

 鷹男に求められる喜びと。

 そんなものを感じさせる現在の猫との距離だった。

 

 最近の瑠璃は体調が悪い。
  気持ち悪く、食欲もなく、微熱が続いている。所謂、悪阻だった。
  昨年冬の初めに体調不良を訴えると同時に鷹男が医師を手配した為、直ぐさま原因である、瑠璃の懐妊が判明した。
  鷹男は酷く喜んだ。
  現在、東宮位が空位な事も、誰よりも愛する人との子と言う事もあり、その喜び様は凄かった。
  宮中も勿論、一気に騒がしくなった。右大臣派はジリジリとした不安や焦燥と戦っている事だろう。
  懐妊が分かり、鷹男はより一層瑠璃の元へと通う様になった。今では体調の事もあり、清涼殿に召すよりは、飛香舎(ひぎょうしゃ)に渡る事が殆どだ。
  ただ、冬の初めに判明した懐妊だが、瑠璃は未だに悪阻があり、床に伏している事が多かった。

 

 今、褥ではなく普通にゴロンと横になっているのだが、小萩や鷹男辺りに見つかったら煩いだろうな、と瑠璃は苦笑を浮かべた。
  すっかり心配性になって、口うるさい小姑そのものだ。
  だが、今鷹男は此処にいない。
  実は承香殿(しょうきょうでん)の女御の元へ行っているのだ。
  瑠璃が入内した直後、秋頃に承香殿の女御も懐妊したのだ。瑠璃より3ヶ月程早い懐妊で、現在、二人の女御が懐妊している事もあり、後宮は本当に騒然としている。承香殿の女御と藤壺の女御。どちらが男皇子を産み参らせるかで、今後の政が決まると言ってもいいからだ。
  ピリピリした空気が瑠璃の悪阻に影響を与えるのか、かなり症状は重く、瑠璃は何度か里帰りを鷹男に希望した位だったが、産み月はまだまだ遠く、一人内裏に残される事が嫌だと言う理由から、決して鷹男は許しを出なかった。
  そうして、本日鷹男が承香殿を訪ねているのは、産み月も近くなった承香殿の女御が近々里帰りをするからだった。

 

 現在、右大臣家の姫と内大臣家の姫が懐妊している。だから、新しい女御を、と言い出す公卿もいない。
  それは瑠璃が願った通りと言って良かった。懐妊する事で次の女御の話を阻止していたのだから。

 でも、とやはり思う。

 今、鷹男はここにいない。

 ―――それが、寂しい。

 好きという想いは、鷹男の傍にいたから、自覚した一年前なんかよりも、ずっとずっと強くなった。

 ちらちら。

 ちらちら。

 

 ちらちら、と。

 

 積もるのは雪ばかりじゃない。
  積もるのは想いの欠片達。
  積もるのは二人の思い出。

 初めて一緒に過ごした夏。

 秋も、冬も、そしてこれから春も。

 初めて一緒に過ごした夜から。

 ―――ずっと、積もり続けているこの、気持ち。

 鷹男が瑠璃を想ってくれるのが嬉しくて。
  瑠璃も鷹男を想い返せるのが嬉しくて。

 

 一時でも、離れると寂しいと言う鷹男を普段は笑い飛ばすけれど、本当は瑠璃もそうだと思う。
  しかも今鷹男が傍にいるのは、分かっていた事とは言え鷹男の子を宿したもう一人の女御なのだ。
「鷹男…」
「はい、なんですか、姫…」
  穏やかで、艶のある低い声が静かな空間に響いた。
「え?」
  返ってくると思わなかった返事に瑠璃は慌てて体を起こしたが、急に動いたからか、クラリと貧血を起こした。
「姫っ!」
  そんな倒れかけた瑠璃の元に駆け寄ったのは、承香殿を訪ねているはずの鷹男だった。
「大丈夫ですか?」
  瑠璃を抱き起こした鷹男が心配そうに覗き込んできた。
「うん。ただの貧血だから大丈夫よ。ありがとう。でも、鷹男…どうしてここに?」
  承香殿に行っていたんでしょう?とは言葉に出来ない瑠璃に、安心させる様に鷹男は微笑んだ。
「もう、挨拶してきましたから、帰ってきました。あちらは里帰りの準備で騒がしく、落ち着けなかったのでね」
  そう言って瑠璃を自分の腕の中に納めると、膝の上に乗せ、自らの胸に瑠璃を凭れさせると髪を撫でた。
「こちらは静かですね」
  静かすぎる程に…、そう、呟いて引直衣(天皇や院の普段着)姿だった鷹男は暖めるかのように袍の袖で瑠璃を包み込んだ。
「あぁ、体がこんなに冷たくなって。駄目ですよ、きちんと暖かくしていないと」
  心配げな鷹男にクスッと瑠璃は笑って、目を瞑ってその胸に身を預けて力を抜いた。
  鷹男の膝の上、そして腕の中。

 

 包むように抱きしめられて、なんて暖かくて、気持ちがいい事か。

 

「ごめんなさい。ちょっと冷たくて気持ちよかったのよ。それに降ってくる雪を見ていたくて」
「雪ですか?吉野の雪に比べるとこちらは浅いでしょう?」
  少し心配げに瞳を揺らす鷹男を安心させるように、笑顔を向けた。
「うん。でも、寝転がって天を見上げて雪が降ってくるのを見ていると凄く綺麗で飽きないわ」
「そうですか?」
  鷹男は瑠璃の髪を撫でながら、仰ぎ見る様にして空を見上げた。
  白い空から降り続く白い欠片達は、一体何処から生まれてくるのか。

 白い天から白い雪が生まれてくる。

 続々と。

 どんどんと。

 途切れることなく降り続ける。

 それはまるで………。

「凄いですね」
「でしょ」
「えぇ。まるで私の姫への想いのようです」
「鷹男…」

 悪戯っ子の様な、楽しげでいて、その癖、艶のある何とも鷹男らしい魅力に溢れた笑顔だった。
  瑠璃はそんな鷹男に視線を奪われ、頬を染めた。
  それから、やっと鷹男の台詞が、まるで瑠璃が今正に思っていた事そのままな事に気づいた。
  鷹男は天から視線を降ろして、そんな瑠璃を愛おしむ様に覗き込んだ。
「ふふっ…。そして、姫の私への想いのようです」
  瑠璃は鷹男に顎を取られて、そのまま口付けられた。
「んっ…」
  軽く何度か繰り返し、徐々に深くなるそれに、瑠璃は鷹男の首に腕を回した。
「瑠璃…あなたを不安にさせてしまいましたか?」
  小さな囁きは、唇が触れ合ったままだった。
  だから、瑠璃は恥ずかしさに頬を染めながら。
「鷹男が今、吸い取ってくれたわ」
  同じ様に瑠璃も唇を触れ合わせたまま囁いた。
  唇の微かな触れ合いに、ゾクリと体に熱が籠もる。
「瑠璃…」
  鷹男は人前では決して“瑠璃”と呼ばない。
  二人だけの時に、瑠璃にだけ聞こえる様に密やかに呼ぶ。
  夏の頃。
  無茶をして瑠璃の入内を進める為に、鷹男は承香殿の女御の元に通わざるを得なかった訳だが、それが秋に懐妊と言う結果になったのは、不思議な宿縁を感じさせた。
  正に右大臣の執念か?とも思い、鷹男は懐妊の話を聞いた時、喜びよりも先に苦笑したが、そんな自分勝手な所は瑠璃には知られたくない一面に違いなかった。
  承香殿の女御の懐妊が判明した頃には、既に瑠璃が入内しており、鷹男の寵は承香殿の女御の元へは戻りようがなかったのだが、入内直後の瑠璃にはやはり衝撃的だっただろう。
  だからこそ、鷹男は心を砕いて接してきたつもりだった。
  特に今悪阻で調子が悪いのだから、余計だ。
「幾らでも奪いますよ。そう、お約束しましたから…」
  そう鷹男は言って、片目をパチンと瞑って見せた。
「鷹男ったら…」
  瑠璃は、それがかつて自分が『奪ってくれるの?』と聞いた事を言っているのだと分かった。そして、鷹男はそれに対し『今すぐにでも』と答えてくれたのだから。
  約束と言える程のものではないが、そう言われれば、やはり心がくすぐったく、暖かくなる。
  嬉しい、と思う。
「鷹男、もっと奪って…」
  先程同様、鷹男の唇に己の唇を触れさせながらそう囁くと、瑠璃から口付けた。
「ん…」
  一瞬、目を見開いた鷹男は嬉しそうに目を細めた。
「瑠璃は意地悪ですね」
「え?」
「そんなに私を煽って。今のあなたを、どうする事も出来ないと言うのに」

 

 ―――罪なヒトですね…。

 

 そう苦笑しつつ、鷹男は自身を宥めるような優しい触れるだけの口付けを瑠璃に繰り返した。

 

 


 



 


 


 


 



 


 



 


 


 


 


 

 

 

  〜あとがき〜
 一応、これでこのシリーズも完結になります。また、短編で書ければとも思いますが…。
 このお話は茉莉花姫に頂戴した絵から生まれました。『みんなのキモチ』で終わりだったのですが、その時丁度、この瑠璃Verな絵を頂戴し、ちょっと切ない雰囲気ですが、是非このシリーズで書く!冬で書く!と書いたのがこれです(笑)更に、この後に『彼のキモチ』を書いたのですが…。
 瑠璃が切ない表情でうつ伏せていたので、どうしましょと眉根を寄せて書いていたら、承香殿の女御懐妊な状態となってしまいました。そりゃー入内と同時に他の女が妊娠したらショッキングでしょうよ…と我ながらホロリ(T.T)
 それでもやっぱり好きなのは鷹男で、鷹男が愛するのも瑠璃だけなのよーって事で。
 読切の「ツモルハナ」とかぶっていて済みませんっ!お粗末様でした。
 読んで下さり、有り難うございます!

 

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