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『彼のキモチ』

 

 秋篠に問答無用で「還御」と言う言葉で連行された鷹男は清涼殿にいた。
  ここ数日に比べれば、ご機嫌で政務にあたっている鷹男だが、実はそのご機嫌と比例する程、政務の進捗状況ははかばかしくなかった。浮かれていて、集中力が全くないからだ。
  とは言え、何とか政務をしようと言う姿勢だけは示してくれているので、誰もが我慢して何とか少しでも終わらせようと必死にその日は終えたのだ。
  そうして、政務を終えた鷹男がいそいそと昼間瑠璃と再会した局へと向かったのだが。
「秋篠?」
「はい」
「何でいない?」
  先程迄のご機嫌は何処に?と思う程、地を這う様な声音の鷹男に秋篠はシラッと首を傾げた。
「何がでございましょう?」
「何が、じゃない。姫に決まっている。姫は?」
  低く抑えられた声に対しても事務的に秋篠は淡々と答えた。
「姫?どの姫でしょう?」
  この御所には姫と呼ばれる様な者はおりませぬ故、とかサラリと言えば、鷹男が秋篠をギラリと睨み付けた。
「逃がしたのか!」
「………………」
  はぁ〜っとそれはそれは重い溜息を秋篠は吐いた。
「お主上、その台詞は如何なものかと…」
  逃がしたってなんだ、逃がしたって。
  例え、それが“真実“であったとしても。
  あぁ、頭が痛い。
  そんな秋篠に対し、本音過ぎたと、少し頬を染めた鷹男だが、フンッとそっぽを向いた。
「で、何で猫のルリもいないんだ?」
「それは私は知りません。いないと言う事であれば、る…三条殿が連れて行かれたのでは?」
「ここに届けに来たのではないのか…」
  ガクリ、と流石に鷹男は肩を落とした。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 鷹男は昨年猫を拾った。
  珍しい蒼い目に瑠璃色を連想し、思わずルリと言う名を付けて可愛がってきた。
  傍にいて欲しいと願い、きっと受け入れては貰えないだろうと思うと、猫ぐらいは傍に居てくれてもいいじゃないかと思った。その上、猫も良く懐いてくれて、何処にも行かなかったから安心していたし、とても嬉しかったのだ。
  そうしたら、猫がいなくなったと聞いて、目の前が真っ暗になった。
  まるで安心させてから裏切られたかの様で、その精神的衝撃は大きかった。
  別に猫がどうと言うのではなく。
  瑠璃を重ねていた猫がいなくなった事実が、それ程までに瑠璃が御所を嫌っている事の証明の様に思われたからだ。
  絶対に瑠璃が鷹男を受け入れ、入内してくれる事などあり得ないと突きつけられた気がした。
  絶望、と言うのだろうか。
  元々、瑠璃が自分を受け入れてくれるとは思ってもいなかった癖に、と鷹男は自嘲した。
  ずっと瑠璃は鷹男の思いを真面目に聞いてはくれなかった。本気にしてくれなかった。高彬がいるのだからとずっと拒絶されていた。
  ギュッと胸の痛みに胸を押さえた。
「姫が得られる未来など微塵も予想出来なかった癖に、裏切りも何もない…」
  鷹男にとって、幼い頃から裏切りと言うものは酷く身近なものだった。
「今更、この程度の事で…」
  命を狙われた事もある。大海の入道事件でだって、何人も信じていた者達に裏切られた。
  ―――それに比べれば大した事なんかじゃない。
  そう。大した事なんかじゃ…。
  何度も自分に言い聞かせた。
「瑠璃、姫…」
  だが、最早、政務等殆ど手に着かない。
  どうしても、何もやる気になれない。
  特に食欲もなく、眠ろうとすると普段なら傍にくっついている温もりが無い事が寂しく、眠る気にもならなかった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 あれ程、自信に溢れ、華やかだった鷹男の変わり様に周囲の者は慌てた。その中には当然の様に秋篠も入っている。
  日に日に。いや、一刻毎にその目から光が失われ、なんの感情もない人形の様な目になっていく。
  特に秋篠はその理由に心当たりがある為、このままでは本当に困った事になると思っていた。
  いざとなったら猫は諦めても、瑠璃に連絡を取って何とかするしかないとも思っていた。

 

 そんな中、内大臣より贈られてきた鷹狩り用の鷹との目通りがあったのだが、その鷹が吉野で躾けられたと聞いて、少しばかり鷹男に生気が戻った。
「吉野の様子は如何か?」
「とても美しい場所でございました」
  そんな当たり障りのない会話から始まり、鷹男は話の些細な事に度々嬉しそうにしてみせた。
「そうそう。吉野ではとある姫様と知り合いまして」
「姫?」
  何も知らない鷹匠は気軽に口にしたが、これは秋篠でも直ぐに中りがついた。
  吉野にいる姫と言ったら、瑠璃姫しかいないではないか。
  鷹男の目が、獲物を見つけた鷹の如く、鋭く光った様に秋篠には見えた。
「鷹に興味があると姫君には珍しい事を仰り、不思議とタカも姫様に馴れて、とても良くして頂きました」
「女人でありながら、鷹と直接対面したのか?」
「はい」
「…姫は……」
  途中で音は止まり、音のない言葉に鷹匠が不思議そうに首を傾げれば、既に鷹男は能面の様な表情だった。秋篠の方に視線を向けた鷹匠に、それ以上は、と秋篠は緩く頭(かぶり)を振ってみせた。
  敏い者なのだろう。
「そうですね。姫様はとても元気な方で、タカに触れて…撫でて下さいました。なぁ、タカ…」
  鷹匠がそう鷹に向けて言えば、鷹は一声鳴いて、大きく羽をばたつかせた。
「ふっ…姫らしいね。そう…この鷹を撫でて…。私も撫でる事が出来るか?」
  鷹に触れる事が出来る位だ。きっと元気にしているのだろう。
  そう秋篠が思う一方、きっとお主上も同じ事を思っているだろうと思うと、切なさに胸がギュッと締め付けられるようだった。
「あ、はい。それは大丈夫ですが、十分馴らしてからでないと危険と存じます」
  鷹匠が、少し言いにくそうに言うが、鷹男はその言葉を無視してタカに呼びかけた。
「タカ…瑠璃姫を覚えているのか?」
  キュルリと目を瞬いたタカは、鷹匠の腕から降りるとひょこひょこと地面を歩いて鷹男の方に近づいていった。
  そうして、胸を張る様にして、甲高く鳴いた。
「そう…お前も姫が好きなのだな」
  苦笑を浮かべた鷹男がタカに向けて手を伸ばすと、タカは更に鷹男の方へと近寄っていって、自ら鷹男の手に頭を擦りつける様な仕草をして見せた。
「なんとっ」
  鷹匠は驚きの声を上げた。
「お前が羨ましい」
  鷹男はタカを一撫ですると、鷹匠に目を向けた。
「今、飛ばす事は?」
「勿論出来ます。タカっ」
  鷹匠が名を呼んで、腕を差し出せばその腕に重力を無視した様にフワリと飛び乗った。
  その後、大きな翼を広げて、青く晴れ渡った春の空を自由に舞うその姿を鷹男はジッと見上げた。
「本当に、お前が羨ましい……」
「お主上…」
  そんな様子が余りに切なく胸を抉り、秋篠は黙って見ている事しか出来なかった。
  鷹男に自由はない。
  恐らくはこの広い空を飛び回るだけの能力はあるにもかかわらず、この御所と言う籠に閉じ込められたまま、一生出る事は叶わないだろう。
  愛する人一人、手に入れる事の出来ない、この国の…最高権力者。
  せめて、と秋篠は願った。

 

 そのまま、次の政務にと追われた鷹男はゆっくりと鷹匠と話をする事も出
来なかった。
  だから、秋篠が話を聞く事にしたのだが、まさか瑠璃が鷹匠と一緒にこの京へ帰ってきているとは思いもよらず驚いた。その上、鷹匠がこれから挨拶に三条邸へ行くと言うから、それなら是非姫の様子を教えて欲しいと頼んだのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 さて、と過去の回想から現実に立ち戻った秋篠は思った。
  やっと二人が思いを通わせてくれた事で、入内が決まった。これから大忙しとなる。そのあたりは恐らく内大臣が中心となってやっていく事になるだろう。
  チラリ、と隣にいる鷹男を秋篠は盗み見た。
  ここ数日の面影は微塵もない。
  となると…。
「やはり、行かれますか?」
「当たり前だ」
  即答ですね。
  そうだと思っていたものの、流石にそれを叶えて差し上げる訳にはいかないと、秋篠は気を引き締めた。
「申し訳ありません。ここ数日の堪りに堪った政務をこなして頂かないと、無理です」
「無理と言うな、無理と」
  キュッと鷹男は唇を噛み締めた。
「女御入内の宣旨の事もあります。諸々やらなければならない事がありますれば…」
  何とか説得を試みる。
  今、何とかならないだろうか、と試行錯誤しているだろう鷹男が、この場は引いたとしても、最終的には秋篠の目を盗んででも、内裏を抜け出し、三条邸へと飛んで行くのだろう。
  だが、今は駄目だ。
「それとも、姫入内は来年春とかでも宜しゅうございますか?」
  秋篠は最後の切り札としてそう言った。
「春っっ?!」
  バッと秋篠を振り返った鷹男が信じられないとその大きく見開いた目で「あり得ない」と訴えていた。
「そんなに待てるはずがないっ」
「ならば、お願い致します」
「……分かった」
  凄く不本意そうにだが、何とか頷いてくれた鷹男に秋篠はホッと胸をなで下ろした。
  それでも、姫宛の文を送る所は流石と言う所か。

 

 そして、その日の夜から、数日堪った政務を信じられない速度で終わらせていくその姿に、蔵人一同目を見張り、普段一体どれだけ手を抜いているのか?と思わせた。
  秋篠は苦笑を浮かべた。
  これは手を抜いていたのではなく、正に、火事場の馬鹿力と言われる類のものだろうから。
  翌日中には政務の殆どを終え、秋篠も文句の言えない様にしてから、鷹男は意気揚々と内裏を抜け出していった。
  そんな明るいうちから、堂々と…。
  秋篠はそんな鷹男の後ろ姿を呆れと共に見送った。
  その鷹男の遙か頭上を鷹が飛んでいる。
  あー…タカまで…。
  それでも今の方がいいと思った。
  もう二度とあんなお主上を見たくはない。

 瑠璃姫。
  後は宜しくお願い致しますよ。
  ―――末永く。
  胸の内で呟けば、瑠璃の声が聞こえた気がした。

 

『ちょ、ちょっと!!そんな、無責任よぉぉぉぉ〜〜っ!!!!』

 

 結局、翌朝まで帰ってこなかった鷹男の狩りが成功したのかどうかは秋篠のあずかり知らぬ事だった。

 

〜あとがき〜
 基本、本編が瑠璃視点だった為、殆ど出てこなかった鷹男ってばどうだったの?な疑問と言うと変ですが、そう思い書き始めました。したらば、やけに鷹男ってば酷い有様になってしまい、私も吃驚です!!
  そんな深い話ではなく、軽く、短めに…で書き始めたシリーズだっただけに…。てか、元々シリーズですらない読み切り…(^^ゞ
  少しでも、本編の鷹男を補足でき、鷹男の事を切ないなーと思って頂ければ嬉しいです。いやー…物語って後で出来るんですね☆(苦笑)

 

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