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『みんなのキモチ』

 

 鷹男が局を出て行ってから、ほてった頬を両手で押さえていた瑠璃は足音も大きくやって来た人物に目を向けて、何となしに恥ずかしくて、顔を逸らした。
  やって来たのは瑠璃の父の忠宗だった。
  酷く青ざめて、今にもぶっ倒れそうな有様だが、なんとか堪えている。
「父様…」
「瑠璃…なんで、お前はここにいるんだ…」
  余りにも力ないその言葉に忠宗の心痛が如何ほどか、と流石に瑠璃も思った。
  瑠璃とて、まさか、御所に来ている事を父に知られるとは思っていなかったのだ。
  力なく座り込んだ父をチラリと見ると、肩を落として、酷く小さく見えた。
「えーと。父様…その…何時も苦労ばかりかけて、ごめんなさい。猫の飼い主がここにいるって聞いて……」
「…やはり猫か。猫なのかっ!分かっていたとは言え…」
「?父様?」
「…あぁ……」
  妙に力なくしおれている忠宗に瑠璃もなんと言っていいものか、と言い倦ねていたが、いつまで経っても復活する様子の無い忠宗に業を煮やした。
「もうっなんだって言うのよ!何か言いたい事があるなら、言えばいいじゃないっ!!」
  所謂逆切れした瑠璃に、チラッと視線を向けた忠宗は更に一つ大きな溜息を吐くと、気持ちを切り替えたらしかった。
「もう仕方がない事だし。自業自得と言えば自業自得…かもしれんし」
「だから、なんの事よ!!」
「失礼します」
  苛ついて叫んだ所で、新たに秋篠がやって来た。
「さて、取り敢えず、三条殿は一旦三条邸に戻って下さい。後日、正式に女御としての宣旨が出されますので」
  にこにことした、ある意味空気を読まない秋篠に忠宗がジロリと恨みがましい目を向けた。
「申し訳ありません」
  言葉とは裏腹に、何処までも嬉しそうな秋篠だった。
「で、どう言う事なのよ?」
  ムスーッとした瑠璃に、秋篠は苦笑し、忠宗は深い溜息を吐いた。
「どこから話せばいいですかね…まずは鷹からでしょうか」
「鷹?鷹って、タカの事?」
「そうですよ」
  首を傾げた瑠璃に秋篠は頷いた。
「三条殿なら問題ないので申し上げますが、タカの主人は鷹男様です」
「………え゛っっっ!」
  あんまりにも考えていなかったので、驚いた瑠璃は変な声を出した。
  そんな瑠璃を無視して秋篠は話を進めた。
「そもそも、内大臣様が鷹匠に手配をして、鷹狩り用の鷹を鷹男様に献上したんです」
「父様がっ?」
  秋篠の言の後を、嫌々という風情で忠宗が引き継いだ。
「丁度あの頃、瑠璃は吉野にいたが、わしは吉野に行く事など出来ないし、鷹匠が丁度訓練の為にも田舎の国に下ると言うから、それは吉野でも出来るのか?と聞いたら可能だと答えたんだ」
「鷹匠…って……まさかっ」
「恐らくは三条殿の予想通りかと思いますが、遠い雪に閉ざされた吉野の地にいる、娘を心配した内大臣様が、姫を心配して、鷹匠に様子を見てくる様にと依頼した訳ですね」
  再度、語った秋篠の台詞に瑠璃は忠宗を見つめた。
  まさか父がそんな事を思い、そんな事をしていたとは思いもよらず、驚いたからだ。
  吉野にあの鷹匠が来たのは偶然ではなく、父が瑠璃を心配して送ったからだったとは。
  実際瑠璃に会えるとは思っていなかったから、里での様子や雰囲気等、ちょっとした事を報告するだけと言う約束だったようだ。
「だから、瑠璃に呼び出されて直接会いました、と報告を貰った時も驚いた」
  高貴なる姫の筈なのに、鷹匠と直接顔をあわせた等と。しかも、一緒に連れ立って京へ戻ってくるなど…。
  今にもさめざめと泣き始めそうな忠宗だった。
「私、鷹男の名前に縁のある鷹に会ってみたくて。それで、会ってみたら、あぁ、私鷹男が好きなんだって気づいて…」
  思わずボソッと呟いた瑠璃の言葉に、忠宗は溜息を寄り深くした。
「やはり、自業自得…なのか…」
  忠宗は更に力なく肩を落とした。
「まぁまあ、内大臣様。その様に落ち込まれなくとも。お陰で鷹男様はとても上機嫌で政務に励まれておりますし」
「………」
  恨みがましい目が秋篠を捉える。
「こっちは瑠璃が後宮で何をしでかすかと、心配で気が気ではないわっ」
「ですが、女御です。出世ではありませんか。それに、姫君なら大丈夫でしょう。内大臣家を盛り立てて下さいますよ」
「あぁ、平穏な日々が遠ざかっていく……猫の名が“ルリ”と知った、あの時嫌な予感がしたのだ…」
「そんな事があったなんて…父様…有り難う」
「もう二度と生き物を誰かに贈ろうとか思わんぞ」
「鷹の事ですか?」
  秋篠が問えば、忠宗は首を振った。
「……いや、鷹と……猫、の事だ…」
「え?猫もなの?」
  瑠璃に聞かれて、忠宗は投げやりな感じで答えた。
「とある商人から珍しい蒼い目の三毛猫はどうか?と言われたのだ。瑠璃は吉野に幼い頃から慣れ親しんでいるとは言え、少しは寂しかろうと猫でも送れば、気も紛れるかと思ったのだが……逃げられてな…」
  ポツリ、と語る。
「逃げられた…」
  呆然と瑠璃が繰り返せば。
「成る程。それで、三条邸辺りを散策(?)していた鷹男様が猫を拾って帰って来られたんですね」
  ポムと手を打つ秋篠に、最早燃え尽きた後の灰の様に元気のない父に瑠璃は何と言っていいのかと思い悩んだ。
  まさか鷹男が融と同じ様に邸の周囲を徘徊していたの?!と秋篠の“散策”の言葉に突っ込みたいのを堪えて…。
  だって、本当に何もかも、父のお陰だ。
  きっかけをくれた猫と鷹。それぞれが父の手配なのだから。
  ここは鷹男を突っ込むよりも、父を慰める方を優先するべきだろう。
「父様…本当に有り難う。感謝してるわ。御所でも変な事したりしないから。大人しくしてるからっ…元気出して?」
  一体その言葉をどれだけ信じる事が出来るものかと忠宗は全く信じていない様だったが、取り敢えずは「そうだな」と頷いたのだった。
「で、どうやってお前は此処に?」
  聞きたくはないがけど、仕方なくと言う風に、忠宗が聞いてくる。
「私は秋篠様の手配で、大皇の宮様からの遣いの女房として…」
  瑠璃が簡単に説明すれば、秋篠が後を引き取った。
「私が弟君の融殿より猫の話を聞きまして。そしたら、鷹匠が三条邸に挨拶に行くと言うので、是非猫の事を見てきて欲しいと頼みましたら、確かにいたとの事。ならば、と猫を受け取りに参りました。しかし、恐れながらお二人が想い合っていらっしゃると私は前々から思っておりましたので、いい加減何とかして頂かないとこちらも困るので、敢えて、猫を受け取らず、三条殿に来ていただくことに致しました。もう、猫に姫を投影していらっしゃった分、猫にまで拒絶された…とそれは酷い落ち込み様でしたので、直接猫と姫が来られれば一番の特効薬となりますから」
「と、特効薬って…」
  赤面する瑠璃に秋篠は全く素のままで、当然の事のように言った。
「確かにその通りだが…」
  父様が頷く程、鷹男の様子は酷かったの?あの鷹男が?
  先程会った鷹男はそれ程酷い様には見えなかったから、全く気づかなかった。
「そんなに?」
「えぇ、ですから特効薬なのです」
  にっこりと秋篠は笑った。
  こんなに秋篠の笑顔を見たのは初めてだと思いつつ、瑠璃は頬を赤らめた。
  鷹男の強い想いを突きつけられた気分だった。
「しかし、あなたには前々からそれ程にご迷惑を…?」
  しかめ面をする忠宗に秋篠は首を振った。
「内大臣様が気になさる事ではありませんよ。鷹男様の文の遣いを吉野まで何度となく往復したり致しましたが、基本姫がどうと言うよりも、日々の中での鷹男様へのフォローが大変なので」
「結局、姫絡みではないか…」
「た、鷹男そんなに普段から?」
  迷惑を……?
「えぇ、少しは三条殿や内大臣様にも認識して頂けると、私の苦労も減ると思いますので、以後、宜しくお願い致します」
「は、はぁ…」
  どんだけ秋篠様に面倒をかけているのだろう?
  タラリと汗が瑠璃の背中を伝う。
  今後、どうにか出来たらいいのだけれど…、と先程の鷹男を思いだして、少し弱気になった。そうして、乾いたような、引きつった笑みが浮かんでしまった瑠璃だった。
「申し訳ないが、今後も、宜しく頼みます」
  ぺこりと頭を下げた忠宗に秋篠は慌てた。
  きっと迷惑を掛けるからと。なぜ、迷惑を掛けるが前提なのか?!と文句を言ってやりたいが、弱気になった瑠璃には、“それ”を否定も出来ない。
「その様な!内大臣様、私の事は気になさらずっ」
  謙遜し合う大人の会話?になったので、瑠璃はムスッと黙っていたのだが、暫くするとそれも落ち着いたらしく、忠宗が覚悟を決めた様に言い出した。
  忠宗は東宮より直筆の恋の歌が届いた事。そして、瑠璃が大怪我を負った事。
  全部瑠璃から話を聞いた訳ではなくとも、ある程度の事は話を聞いていた為、ある程度は想像していた。
  忠宗とて、無為に日々を過ごしている訳ではないし、元来、政争に興味がないだけで、能力的には何ら問題がないのだ。だから、忠宗は瑠璃が今上帝とそれなりの関係である…かも知れない、と言う予想だけは持っていた。ただ、必死になって自らの考えを否定していたに過ぎない。
  しかし、今回の猫騒動でそれが確信となり、瑠璃の女御入内だけはなんとか決まらない様にと祈る様な気持ちで黙っていたのだ。
  その一縷の望みも、つい先程、秋篠のせいで露と消え果てた。恨めしい気持ちは消しようがないが、事ここに至れば、後は、腹を括って、覚悟を決めるしかない。
「それで、女御入内は決定なのだな?」
  忠宗に秋篠は力強く頷き、瑠璃は頬を染めた。
「決定ですね。今更覆そうとしても、鷹男様がお認めにならないですよ」
「そうか…。やはり来年の春辺りか?」
「いえ、もっと早いでしょう」
「…冬か?」
「……。先程の様子を見ると、夏…ですかね」
「「な、夏!!」」
  秋篠の言葉に瑠璃親子は見事にハモった。
  だって、今はもう初夏だ。
  夏って…無理でしょう?
  忠宗同様、言葉も出ない瑠璃だったが、先程の鷹男を思い出して、そうかも知れないと妙に納得してしまった。
  実に不満そうにしていた鷹男。余り長く我慢する気はなさそうだ。
  きっと秋篠もそれを見越して、鷹男がさっさと瑠璃を入内させようとすると踏んだのだろう。
「夏です。お二人とも、そのつもりで覚悟を決めて下さいね」
  にっこりと笑う秋篠を、実は結構なくせ者だったのだと知った瑠璃だった。
「では、先程申し上げたように、三条殿は内大臣殿と一緒に御所を出て下さい。残っていらっしゃると、確実に鷹の標的にされます。勿論、それでいいとお考えなら、是非ここに残って下さい。その方が私も助かりますので」
  にっこり笑顔が怖いと思った。
「絶対帰るっっ」
「おや、つれない事を仰る。鷹男様はきっと寂しがられます」
  瑠璃の脳裏に昼間のタカに狙われたルリの一件を思い出した。
  ルリは大丈夫だったけれど、瑠璃は自ら捕獲されに来たのだからしょうがない。正にネギを背負った鴨だ。
  それに鷹男は『会いに行きます』と先程言っていた。
  きっと入内するまでの時間はない。
  ともすれば今夜にでも覚悟が必要になるかも知れない、と瑠璃はゴクリと唾を飲み込んだのだった。
  ニコニコ笑顔の秋篠を忠宗は恨みがましい目で見つめ、瑠璃は複雑な思いで頬を赤らめたのだった。

 

〜あとがき〜
 本編の補足。ネタ晴らし的なお話ですね。瑠璃パパの苦労とか混乱っぷりを書きたかったが、上手く書けませんでした(ガクリ)
  猫も鷹もパパです。つくづく、苦労人と言うか、そう言う星の元に生まれたのね。わっはっは☆
 以後、頑張れ瑠璃親子!って感じですね。「秋の空」シリーズとは異なり、ここの秋篠は鷹男サイドの人間らしいです(笑)

 

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