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『あなたのキモチ〜瑠璃Ver〜』

 

 すっかり吉野の里は雪に覆われてしまった。
 時折邸を抜け出して里を歩く瑠璃には実は退屈で堪らない季節だった。
 昔はそれでも雪にまみれて駆け回っていた事を思い出して、クスッと笑う。
 あの頃は幸せだった。
 毎日が楽しくて、吉野の君がいて、御祖母様がいて、幸せで、ずっとずっと続くのだと思っていた。

 遠い昔の思い出だ。

 今ではもう、同じ様な幸福に出合う事は無いだろう。
 この吉野の里で吉野の君を待っているけれど。
 生きている、と信じているけれど。
 きっと、彼は会いに来ない……そう、知っていた。
 でも、踏ん切りがつかない。何時気持ちを整理して、区切りをつけたらいいのか分からない。

 だから、この吉野の里から、身動きが出来ない。

 なのに。

「瑠璃様…その様に端近くにいらっしゃっては駄目ですわ。それに、風邪をひかれます」
「小萩…分かってるわよ」
 つまらない、と外を見ると、良く晴れた冬の日である今日はそれは見事な抜けるような青空だった。その青空を一つの黒い影がヒュイッと横切る。
「え?」
 ぱちぱちと瞬きをした瑠璃はそれが鳥なのだと気づいた。
 右へ左へ。何か狩りでもしているのだろうか。
 暫くすると、樹木から大空へと飛び上がってきたその鳥は足に何かを捕まえていた。
「ねぇ、小萩。あの鳥ってなんの鳥かしら?」
「え?どれでございますか?」
 瑠璃が指し示す方を見つめて小萩も首を傾げた。
「さぁ…なんの鳥でございましょう」
 鳥の知識など、一般的な女性の知りうるものではない。
 丁度そこに通りかかった家人に聞いてみる。
「ねぇ、お前。お前はあの飛んでいる鳥がなんの鳥か分かる?」
 指し示されたそれを見上げた家人はあぁ、と頷いた。
「ここでは余り見かけない鳥のようです。何でもこの吉野の里に鷹匠(たかじょう)が来ているらしいです。もしかしたらその鷹かも知れませんね」
「え?鷹、なの?あれが??」
 ジッと瑠璃は黒い影にしか見えない鳥を見つめた。

 鷹。

 その音から、瑠璃の胸に去来するのは床下で出逢った人の事。
 格好良くて、頭が良くて、身分も血筋も良くて。ちょっぴり派手好きで、雅で、女ったらしで。
 優しく、強い人。
 何度もこの吉野まで文を寄越してくれた人。
 彼の事は実はよく分からない。
 好きですよ、と彼は気軽に囁く。悪戯めいた眼差しで、サラリと告げる。
 何処までが本気で、何処までが冗談なのか分からない。
 私には高彬が居るから。そう思う傍から、本当の彼の気持ちが知りたいと思っている。
 その人は最初に、鷹男と名乗った。

 瑠璃は家人に無理を言って、その鷹匠と会いたいから連れてきて欲しいとお願いをした。
 鷹を間近で見た事など有りはしない。
 だが、鷹だ。見てみたい。一体鷹男は何を思って、その名を名乗ったのだろう。
 見たからと言って、それが分かる訳ではないが、見てみたかった。
 鷹男には会えないんだから。
「あなたが鷹匠なの?無理を言ってごめんなさい。来てくれて有り難う」
 真っ先にそう告げた瑠璃に鷹匠は一瞬驚きの表情を浮かべたものの、その後はふわりと表情を緩めて瑠璃に頭を垂れた。
「姫様には鷹など恐ろしゅうございませんか?」
「怖くはないわ」
 ジッと、鷹匠の腕に止まっている鷹を瑠璃は見つめた。
 全体は焦げ茶の羽だが、のど元辺りから腹に掛けて全体が白っぽく、斑模様とでも言うのだろうか。
 尾羽は焦げ茶と明るめの茶とでしましまになっているが、結構長い。
 瞳は黄色く、黒くまん丸な瞳孔が夜の猫の目を彷彿とさせた。が、猫なんかよりよっぽど目つきは鋭く、流石は兎や小鳥などを狩猟する猛禽類なのだと思わせる。
 すらりとしたその立ち姿が美しく、まるで胸を張っているかのよう。
 足に紐のようなものを付けている。
 深紅のそれがゆらゆらと揺れている。
「うん。凄く格好いいわ。なんて凛々しいのかしら!」
「そ、そうでございますか?」
 喜ぶ瑠璃に同伴していた小萩の方は腰が引けている。
 ちらっと鷹が視線を小萩の方へ向けようものなら、息を止めて、身を強ばらせている。
「小萩、そんなに怖いなら少し下がっていて良いわよ?」
「…い、いいえ、そんな訳には参りませんわ!」
 きゅっと手を握りしめて小萩は女房魂?を主張した。
「姫様は変わった方ですね」
「そう?」
「えぇ。貴族の方々などは鷹狩りを好まれますが、やはり猫などとは違い、女人で鷹を好まれる方は稀でございます」
「好むって言うか…」
 鷹男を彷彿とさせる鷹ってどんなものなのか、折角鷹匠がいるのなら見てみたいし、話を聞いてみたいと思っただけなのだから、鷹が好きとか、そう言うのではない。
 でも、実際に今、鷹を前にして格好いいとは思った。
 鷹男に似合う、とも。
 普段の華やかに微笑んでいる時の鷹男ではなく、何かに直面した時のキリッとした鷹男だ。
 標的に狙いを定めた時の鷹男に似ている気がした。
 思い浮かべて、少しばかりゾクリと背を駆け抜けるものに瑠璃は首を傾げた。
 瑠璃が躊躇っていると、鷹がふわりと鷹匠の手から地上に舞い降りた。
「これ、タカ」
 叱る様に鷹匠が声を上げた。
「タカ?もしかしてこの鷹の名前?」
「あぁ、失礼致しました。安易ですが、“タカ”がこの鷹の名前なのです」
「ぷっ…本当にそのまんまなのね」
 クスクスと楽しそうに笑う瑠璃の元に鷹がひょいひょいと近寄る。
「ひ、姫様っ!」
「大丈夫よ、小萩。そうでしょう?」
 瑠璃に視線で問われた鷹匠ははいと頷いた。
「タカは非常に頭が良いヤツでして。性格は穏やか…とは言えませんが…。猫をかぶります」
 今度こそ、瑠璃は吹き出した。
「鳥なのに猫をかぶるのね!」
 やっぱり誰かさんにそっくり。
 瑠璃に近づいたタカは首を右に左にと傾げ、瑠璃を見定めてでもいるのか、何かを思っている風だ。
 一体何を考えているのか、余り感情の見えないその目からは何も分からない。
 ジッと見つめてくる、感情のなさそうなその目が何かを語りかけてくる様で、瑠璃もジッと見つめ返した。
 更にチョコチョコと近づいてきたタカは手を伸ばせば触れる事の出来る程まで近くに来た。
「触っても大丈夫?」
「申し訳ございませんが、そればかりは…」
「そう…」
 鷹匠の言葉に残念そうにした瑠璃に、タカは首をもう一度傾げて、キュルリと目を瞬いた。
 と、瑠璃の手に頭をすり寄せてきた。
「え!」
「なんとっ!!」
 瑠璃と同時に鷹匠もよっぽど驚いたのか、絶句している風だった。
 まるで撫でろと言わんがばかり。
 キュッと立つ姿は凛として、凛々しい。
 瑠璃を見上げてくる。
「ふふっ…こう?」
 そう聞いて、タカを撫でれば、気持ちよさそうにタカが目を閉じた。
 そのくせ、何度か撫でたらフイッとそっぽを向いてしまう。
「何考えてるのかさ〜っぱり分からないわ」
「でも、とてもタカは姫様の事を気に入ったのでしょう」
 そう言われれば瑠璃とて嬉しくもある。
 猫の子の様に、簡単に飼うと言う訳にもいかない。
 手放しがたくもあるけれど、タカは鷹であり、大空を自由に翔る事こそがきっと本質。
「ね、飛ばして見せて?」
「承知致しました」
 瑠璃が願えば、鷹匠はタカを呼び寄せ、空へと放った。
 広い、何処までも続く、青く広い大空を自由に飛ぶ。
 満足そうに羽を広げ、風を受けて、気持ちがよさそうだ。

 ―――鷹男、あなたはこの自由が欲しかったの?

 瑠璃は内心思った。
 帝に自由などある様で居て無いだろう。
 彼の本音は何処にあるのだろう。
 最近不思議と鷹男の事ばかり考えている。高彬こそが婚約者だと言うのに。
 実際、右大臣家からは婚約解消の文も来た事だし、婚約者と言えるのかどうか、定かではなかったが。

 タカが大空で甲高い鳴き声を上げた。

 何を叫んでいるのだろう。
 何を思っているのだろう。
 何を願っているのだろう。

 そして、私は何故鷹男の本音が知りたい何て思う様になったんだろう。
 彼は帝だ。
 彼の事を知った所で、自分の理想の背の君にはなり得ない。

 ―――でも。

 凄い早さで近づいたかと思うと、ふわりと重力を無視したかの様に一瞬滞空してから、鷹匠の腕に止まった。
 まぁ、と瑠璃が目を見開いてタカを見遣れば、まるで胸を張って、どう?すごいでしょ?と自慢げだ。
 どちらかと言えば、怖い顔なのに、可愛くて。
 瑠璃はクスクスと笑った。

 愛しい、と思った。

 そうして、気づいた。

 あぁ、愛しいのだ、と。

 タカの様に自由にはあれないけれど、自分の生きるべき世界で精一杯に翼を広げて羽ばたこうとしている鷹男が。
 本音を隠したその目に浮かぶ感情を瑠璃は理解出来ないけれど。

 彼を助けたいと思う。
 彼の傍にいたいと思う。
 彼に笑っていて欲しいと思う。

 なぁんだ。
 好きだから。
 好きになっちゃっていたから。
 気になっただけじゃない。

「タカ、とっても格好良かったわ!大好きよ」
 告げれば嬉しそうにタカは羽をばたつかせた。
「おいおい…」
 バランスが崩れて、慌てる鷹匠も無視してタカはご機嫌そうだった。
 鳥だけれど、犬ならしっぽがブンブン振られていたに違いない。
「滅多に人に馴れないんですが…本当に珍しい事です」
 困惑気味な鷹匠に瑠璃は、タカを見せてくれて有り難うと礼を言った後、また遊びに来て欲しいと願った。
 吉野の里に居る間、またお伺いさせて頂きます、との鷹匠の言葉に瑠璃は笑顔を見せた。

 今頃、一体何をしているかな、と思う。
 怖いけれど、鷹男の本当の気持ちを聞いてみたい。
「鷹男、あなたに逢いたいわ」
 京の方を見遣った瑠璃に、タカは首を傾げた後、再び甲高い声で一声鳴いた。
 まるで、返事をしてくれたみたいで、瑠璃はもう一度タカを撫でたのだった。

 

〜了〜

 

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