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『あなたのキモチ〜鷹男Ver〜』




 本格的な冬を迎えて、すっかり空気も冷たく寒くなった。
 京は既に雪景色となっている。
 きっと吉野の里は遙かに雪深い事だろう。
 かの姫は戻ってこない。
 会いたいと思うが、例え彼女が京にいたとしてもそう簡単に会えないのが自分の立場の煩わしい所だった。
 そうして鷹男は瑠璃の事を思いつつ、フラリと御所を抜け出した。

 床下で出会った姫。身分としては申し分のない姫にも関わらず、出会いは床下だ。こんなに滑稽で、衝撃的な出会いなんて、他の誰にもないだろう。
 結婚の為に!と声高に主張された時には心底変わった姫であり、相手の衛門佐を奇特だと思った。
 まさかこれ程までに自分までもが、心を囚われるとは思っていなかった。

 火事を起こしてまで、私の為に証拠品を手に入れてくれた姫。

 鷹男を守る!と言って、涙ぐんだ姫。

 燃え盛る炎の中、知らなかったとは言え鷹男の弟である唯恵の為に馬を走らせて大怪我まで負った姫。

 同じ様な姫など、何処を探してもきっと居はしない。
 裏も表もなく、只まっすぐで、正直で。優しくて、暖かい。
 まるで鷹男にとっては春を象徴するような存在。
 でも、瑠璃は鷹男の想いに応えてはくれない。
 満更でもなさそうに頬を染めるのに、私には高彬がいるから、と嫌な事実を盾にとらえる事が出来ない。
 本当の姫の気持ちはどうなのだろう、と思う。
 本気をぶつけたら、逃げられてしまいそうで出来ないでいる。
 現人神たる帝の私が情けない事だ。

「にゃ…」
 自嘲的な笑みを浮かべていた時に聞こえてきた小さな鳴き声に、鷹男は周囲を見渡した。
 会いたいと思いつつ、叶わぬ想いにフラリと御所を抜け出した後、気づけば三条邸の辺りを歩いていた。
 鷹男は時折御所を抜け出しては三条邸や二条堀川邸の辺りに行く事があった。
 三条邸に瑠璃姫と会った記憶はないが、ここに姫が住んでいたのだと思えば、感慨深く、時折外から見つめていた。
 二条堀川邸は実際に瑠璃姫と共に過ごした時間があるだけに、思い出深く、時折藤の宮に先触れもなく訪ねて行ったり、外から見つめているだけの時もある。
 今は、三条邸の近くにいて、余りウロウロしていると不審者とされてしまうだろう。

 ―――帰らなくては。

 分かっていても足が動かないでいた、丁度そんな時だった。
 見渡せば、少し離れた所に子猫が一匹、鷹男の方をじっと見つめて座っていた。
 白に茶と黒のぶちの三毛猫の子猫は、綺麗な蒼い目をしていた。この国に存在する者にとって、その色彩は実に摩訶不思議だ。
 近寄って、傍にしゃがみ込み、抱き上げる。
 子猫は大人しくしている。
 じっとその不思議な目を覗き込む。
 人間とは異なる、その瞳孔は昼間の今は三日月の如く細い。そして、瞳孔の黒い部分を除けば、殆どが美しい蒼い色だ。
 澄み切った水底を覗き込んだように、ゆらゆらと揺蕩うような色彩が鷹男の心を捕えた。
 唐を通り、遥か遠くから届く高価な玻璃よりも、余程美しく、玉虫の様に光の加減で違って見える虹彩が鮮やかだ。
 この子猫の目には自分やこの世界が一体どんな風に見えるのかと不思議に思う。まさか、蒼い世界ではないだろう。
 余程見入っていたからか、意識していない内に子猫の鼻先にくっつく様にしていた為、子猫がぺろりと鷹男の鼻先を舐めた。
「ふふっ…」
 ザラリとした舌の感触は余り気持ちのいいものではないが、にーと言いつつじっと鷹男の方を無防備に見つめてくる姿は愛らしかった。
 ふと、愛しい…と思った。
 その蒼い目。濃く、深みのある不思議な蒼。
 それはまるで瑠璃色。
 何を一体考えているのかさっぱりわからないのに、無防備なまでにまっすぐこちらを見つめ、心の中にまで入り込んで来る。
「姫に似ている、かな?」
 クスリと笑んだ。
 猫と一緒にしないで!と怒られるだろうか。
 三毛猫。けれど、その器量は、恐らくは美しい猫とは評されないだろう。
 でも、人懐こく、愛嬌もあり、愛らしい。
 どうせ、私は美人じゃないもの!と拗ねるだろうか。
 ガジガジと鷹男の手を甘噛みし始めた。
「こらこら…って…ちょっと、痛いぞ?」
 メッと睨むようにして、鼻先を合わせれば、んにっ!と言いつつ重圧を感じたのか、鷹男の顔を離そうと、両手で押すようにしてくる。
 顔を押す、冷たいけれど、柔らかい肉球の感触が何とも面映ゆい。
「おやおや…こちらの瑠璃もつれないなんて…」
 苦笑を浮かべて、鷹男は顔を離した。
そのまま子猫を腕に抱きしめて、三条邸にもう一度目を向けた。

 姫のいない三条邸。
 瑠璃の存在を感じさせる場所が愛しかった。
 でも、寂しかった。

 いないのだ、と現実を突きつけられるから。

 腕に抱いた猫がモゾモゾと動いていると思えば、鷹男の胸の辺りをモミモミと両手で押している。
「くっ…こらこら、何と勘違いしているのかな?」
 母猫に甘えるかの様なその仕草が酷く幼く、愛しい。
 チュクチュクと鷹男の衣を吸うようにしている。
 恐らくは母猫からのお乳が欲しいのだろう。
 衣が!と更衣達辺りが騒ぐかも知れないが、気にする事はないだろうと、鷹男は子猫のしたい様にさせる事にした。
 そうして、子猫を腕に抱いたまま、鷹男は三条邸を後にした。

 不思議とその場を離れるのが苦ではなかった。
 さっきまでは足が動かなかったと言うのに。
 御所へと向かう足取りは軽かった。

 御所に戻れば、猫を一体どこで?!とか、何やら色々言われるかもしれないが、まぁ、いい。手放す気にはなれないのだから、仕方がない。
「お願いです。嫌がらないで下さい…」
 ポツリと呟く。
 御所を、後宮を嫌う瑠璃とは違い、自分が囚われて逃れる事の出来ない籠の世界である御所をこの子猫が嫌わないでくれることを願う。

 一緒に。
 傍に。
 いて欲しい。

「ねぇ、瑠璃?」
 とっくに子猫の名前は瑠璃になっている。
 呼びかければ不思議と子猫は反応する。自分の名だと分かっているのか。
 首を傾げて、大きな目をクリッとさせて、不思議そうにしている。
『なぁに、鷹男?』
 そんな風に首を傾げる瑠璃が見えた気がした。
 その蒼い目は何を考えているのか、何を感じているのか、鷹男にはさっぱりわからないけれど。

 そうして、その後も、蒼い目の瑠璃は鷹男の傍にいる。
 紐も付けていないのに、この御所を抜け出して、いなくなったりしない。
 少しでも、気に入ってくれたのだろうか?
 ここを。
 私の傍を。

 いつか。

 猫の瑠璃を、女御の瑠璃が抱きしめて笑っている、そんな風景が現実のものとなったら、どれ程幸せだろうか。

 そう思えば切なく痛む胸に願いを込めて子猫を抱きしめる。
「そう思いませんか?」
「にゃーん?」
 首を傾げる様子に、愛(いつく)しむように笑いかけた。
 そして、呟く。
「早く京に帰って来て下さい」
「にゃっ」
 うん、と頷く様なそれに、鷹男は満面の笑みを浮かべた。
「瑠璃姫、あなたに逢いたい」

 

〜了〜




〜あとがき〜

 なんジャパのコンテンツ開設の祝いに、と頂いたイラストです!
 雪の中の鷹男が猫を腕に笑っているのですが、何とも爽やかな風情ですよね。
 冬だというのに、心が温まる感じです。
 お話の方も、それに合わせてふんわりした雰囲気のものに仕上がっていると良いのですが。
 本当は対面に瑠璃を居させたかったなぁ…。

 茉莉花姫、ありがとう!!




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