『愛(いつく)し想い』
館を飛び出した処で、一瞬自分はこの館の警備をせねばならない事が頭をよぎった。でも今は此処にいたくない、その想いが強い。
どうして良いのか解らずに、暫し立ち止まっていると、後から友雅がやってきた。
「頼久…少し一条戻り橋辺りまで付いてきてくれないか?」
「私、がでございますか?」
「そうだよ。君は武士で、腕も立つからね。ふふふ…」
武官である友雅に自分のような警護が必要とは余り思えない。その上、勝手に行動することも出来ないと躊躇う。
「しかし…」
「大丈夫だよ。君の同僚には言って置いたから。少し頼久をお借りする、とね。」
「……承知いたしました。」
この場を離れられるなら何でも良かった。
前を歩く友雅の後ろを黙って付いていく。
解っていたのだ。
神子殿が自分を見る眼差しは、一人の男としてものではないことなど。他の誰よりも信頼し、頼って下さっていると最初喜んだ。武士として、仕えるものとして主に信頼されるのが一番の喜び。
だが、その内それだけでは物足りないと思う様になった。
浅ましい願いだと解っているが、その想いを止めることなど出来なくて。何時だって神子殿を見つめていた。
だから。
だから解ってしまった。
神子殿の眼差しがまるで家族に、兄弟に向けられる様な絶対のものであることに。
家族であるが故の信頼感。
家族であるが故の安心感。
私は神子殿の兄ではありませぬ!!
そう、言いたくて、でも言える筈もなかった。
自分は所詮従者に過ぎない。主を守るべき存在に過ぎない。
そして彼女が誰を見つめ、誰を思っているのかにも気付いてしまった。
其れを見続ける苦しみに堪えながらも、側にいることを選んだ。八葉として、彼女を守り続けることが自分にとっては唯一の出来ることであったから。
だが………っっ
「すっかり秋になったね。」
「………は、はい。」
自分の考えに意識を集中していた為、返事が一瞬遅れた。
「まぁ、お互いに仕方がないことだと思うしかないね。神子殿が選んだのは一人なのだから。」
「と、友雅殿?!」
友雅の言葉に頼久は驚きの声を上げた。
この飄々とした人がまさか?
そんなそぶりも見せずに?
「あくまでも桃源郷の月は桃源郷の月。遠く手の届かないもの…と言うことだね。全く情けないことだがね。」
「友雅殿……」
「とは言え、私はアレも好きなのでね。本当に仕方がない。」
クスクスクスと微笑む。
そんな友雅を頼久はじっと見つめた。
この方は本当に大人なのだ、と痛感せざるを得ない。
「どうしたらそのように振る舞えるのでしょうか?」
「さぁ…其れは私にも解らないよ。」
「え?しかし…」
「神子殿の視界には私が全く映って居ないのだから話にならない。」
苦笑を浮かべる。
君みたいに中途半端に想いを掛けられるよりはずっとマシかも知れないがね。まぁ、似たり寄ったりかもしれないが。
「もう少し神子殿が大人であったら、と思うね。」
「ご冗談を。」
「ふふ、確かにね。彼女は彼女であるからこそであり、そうでなければ、これほどまでに我々の心を捉えることはなかっただろうね。」
ふわりと風が吹いて友雅の髪を緩やかに揺らした。
「私の場合は双方とも好きなんでどうしようもない、と言うことだ。後はやはり神子殿は何処か妹の様に思える節も…あるのでね。」
守るべき存在。
其れが最終的な結論。
「君は君で結論を出せばいい。急ぐこともあるまい?」
にっこりと微笑まれて、頼久は「はぁ…」と曖昧に頷いた。
「ああ、此処までで良いよ。実はこの後約束している処があるのでね……」
そう言って艶やかに微笑む。
「承知いたしました。」
余計なことを詮索する程、愚かではない。
遠ざかっていく友雅の背に一度頭を下げた。
ゆらりと川縁に垂れる柳が風に揺れた。水の囁きと細かな葉の擦れるような小さなざわめきだけが辺りを支配する。
「ふぅ…」
深く息を吐いた。
どうも、友雅も神子には想いを抱いていたらしいことだけは解った。とは言え、大分自分とは違い本当に淡いようだ。いや、実際ああ見えて他の誰よりも深く想いを掛けているのかも知れない。
やはり誰よりも心の内を窺わせ無いところが友雅らしかった。
だが、さっきまでの重く心の中がどろどろとしていた嫉妬という醜い感情が姿を消していた。
今し方の、神子自ら眠る鷹通の頬に唇を寄せる、そんな姿を思い浮かべれば胸はやはり痛むのだが、何故かさっきまでとは違う気がする。
何故だろう?
同じ痛みを知る友雅を知ったからだろうか?
自分に出来ることは。
彼女の幸せを見守ること。
自分の手で幸せに導くことが出来るなら一番良いのだが、そうもいかない。だが、見守ることは出来る。
そして彼女はこの京にいて、時間はずっとあるのだ。
ゆっくりと。
歩いていこう。
あの方を傷つけずに、守る為に。
私の全てを掛けて。
結論は。
そう、急ぐこともないのだから。
多分、急ぐことはない、と言われたのが心を軽くしたのだ。
諦めなければ、諦めなければ、と急くように自分自身に言い聞かせた。無理なことを承知で。其れが負担になっていた。
神子が選んだのは一人。其れはどうしようもないこと。
だが、だからといって諦めなければいけない、と言うことはない。
想いを秘めていることまで禁じられては居ないのだから。
辛くとも。
苦しくとも。
この想いこそが大切なのだから。
一人佇み頼久は、友雅の消えていった方を向いて静かに深く頭を下げた。
@01.10.28/