『待ち続けた時』
私は決して手を差し出さない。
いや、この言葉は的を得ていない。
正確には不必要な手助けをせず、静かに見守り続ける、と言う事だからだ。
あなたは転ぶだろう。
それでも、不器用に一生懸命生きようとするあなたはきっと傷だらけになっても、前を向き続けるだろう。
己自身の血にまみれた足で大地を踏みしめ体を支え、それが叶わぬならば、己自身の血に濡れた手で動かぬ足の変わりに体を前へと引きずるのだろう。
例えどれ程苦しもうと、傷つこうと、あなたは決して前に進むことをやめたりしないから。
あの強い意志を宿した二つのまなざしが見つめる先は遙か遠く、その眼差しに宿る光こそがこの国を支え、導く明けの明星。
知っているから。
わかっているから。
私は黙って見ている。
あなたは自力で立ち上がる強さを持っている。
あなたは泣き、苦しみ、傷ついても、尚、立ち上がる勇気を持っている。
だから、余計な手出しなど不要。
それはこの大切なる人の魂を歪ませる行為に他ならない。
どれ程手を差し伸べたくても。
どれ程甘やかして、守ってしまいたくても。
どれ程。
どんな風にも当てず、苦しみや悲しみからも遠ざけて、己が腕の中に閉じこめたくても。
黙って見ていることが私に出来る唯一のこと。
転んで傷ついているあなたがこれ以上傷つかないように。
必要以上に苦しまないように見守りながら。
誰にも気づかれないようにそうっと周囲に配慮しながら。
それでも黙って私は見ていよう。
私は常にあなたの前にいて、時折後ろを振り返ってはあなたを見守っている。
「浩瀚は優秀だな」
あなたは良くそう言われるが、そんな事はない。
私はあなたが思っている程大した人物ではない。結構、器の小さい人間だ。
こうやって私があなたを見守るのは、私があなたよりも優秀だからとか、優れているからとかそんなことではない。
単なる経験の差と言うものでしかない。
生きてきた時間の長さというものだ。
あなたは一向に気づいてくださらないけれど。
だからこんな事も簡単にわかってしまう。
いつか。
いつもの様に後ろを振り返った時、あなたがそこにいない日が来るだろう。
今までならば、困惑し悩みつつも何とかしようと努力しているあなたがいる筈なのに、そこには誰もいないだろう。
そして背後から声が聞こえるのだ。
「何を見ているんだ?」
「主上…」
振り向けば私の前にあなたは立って、不思議そうに首をかしげるのだろう。
「そっちに何かあるのか?」
最早誰もいなくなった空間を指し示してあなたは私の背後を覗き込むだろう。
そうしていつものように微笑むのだ。
「何もないじゃないか。ほら、行こうっ」
何処へとも言わず。
あなたはそう言って眩しい程の笑顔で私の前で背中を見せるだろう。
向かうべき未来を切り開いていくのだろう。
その時、私は無様にもあなたに縋り付いてしまうかもしれない。
余りにも眩しくて先が見えなくて。
あなたがどこかへ一人で行ってしまうその不安に怯えて。
あなたは王だ。
その背に大きな翼を持ち、力強く羽ばたく事の出来る人だ。
そうして、小さな人々をその翼下で守りつつ、緑豊かな土地へと導くだろう。
それを手助けするのが私の役目。
そんなに焦って大人になる必要なんてないのだと、そう思う。
永い時の中を生き続けることを定められた我らにとって、その幼さ、若さ、情熱は二度と取り戻せない輝き。
だが、国王と言う重圧はあなたにそれを許さない。
いいえ、あなた自身がそれを許さなかった。
そうして、不器用なあなたは誰よりも早く大人になっていった。
何時までも見守っていたかった。
どれ程それが歯がゆい思いに焦れたとしても、自分が未だ必要とされていることの証のようでもあり、嬉しくもあったから。
若々しいあなたを見ているのは私自身まで若返るようで新鮮で心地よかったから。
今。
あなたは私の後ろではなく、横を。そして前を歩いている。
一抹の寂しさと。
誇らしさ。
複雑な思いを抱えつつも、今はあなたの隣を歩いていけることが嬉しくもある。
今までは、黙って見ている事しか出来なかった。
だが、隣を歩く今のあなたに手を差し出すことは罪ではないだろう。
既に独りでしっかりと立っているあなたを歪めることはないだろう。
どれ程あなたが眩しくても、私は目を閉ざさず、あなたを……あなたが見つめる未来を見つめ続けよう。
無様にあなたに縋り付くのではなく。
そして、あなたと共にあり続けたい。
対等なようでいて、対等ではない。
それでも。
私は永い時を掛けて待ち続けた。焦がれ続けた。
この時を。
あなたに手を差し伸べることの出来るこの”時”を。
あなたは―――私の手を取って下さいますか?
@04.08.03>04.08.21/